お茶

今日は、サロン会。

茶道の師匠の会で、先輩方のサロン会に混ぜていただいている。

皆様、お歴々の方ばかりの中、今日のテーマは「南方録を読む」。

チンプンカンプンながら、

美味しい松花堂と先生のお点てになるお茶につられて通っている。

何より繰り広げられる会話の数々が、

スターダストのようにキラキラ輝いている。

 

主催の方は、師匠と共にお茶を学ばれていた方で、姉御肌で気っ風がすこぶるよろしい。

長く続いている会に、いつの頃か誘われて社中の私が一人ポツンと参加している。

「何も知らない人が入ってくれる方が、新鮮でよろしくてよ!」と言われ、その気になって早9年?

忙しかったり、億劫になったりして 足が遠のくことがあっても、伺うと必ず「お土産」がある。

「今日は、これを聞きに伺ったのでした!」

という話に必ず出会う。

 

「水引は、水糊で縒るから水引という。」

こよりを重ねてつくっていくのだそう。

 

中国では宋の時代の末にひき茶(抹茶)はなくなり、その後は煎茶になる。

ギリギリのタイミングで日本に入ってきて、それが点前となり、茶道が始まる。

 

肉食動物は、まず草食動物の内臓から食べるそう。

内臓の中には、消化された草(酵素)がたくさん入っていて、栄養があることを知っているのだ。

 

「鬼の心持ち」とは、お毒味のこと。

昔はお茶に毒を盛ることが多かったので、お茶を送る時には、こよりの中に「心覚え」を書いて、

茶箱に封をした。

封の仕方にも工夫をしていて、受け手はその開け方を心得て封を切るという。

昔はお茶を戴くことは、命がけだったのだ。

命がけの時代に生まれた茶の湯。

 

只今を大切にする、

自分を信じる、

一生懸命に生きる、

 

お茶つくばい

今の時代にも大切なことがちりばめられている。

一人だと何気なく読み過ごしてしまうことでも、みんなで感じながら読み進めていくと、

漣の奥にある、大河の流れを感じられたような気がして、心が得した気持ちに満ちる。

伺えないと戴けない、素敵な「お土産」